年末年始大阪へ帰ったのがつい先日のように感じますが、2022年1月も明日を残すのみとなりました。
こちらにも書きましたが、種子島へ来て以来13年間働いてきた自動車整備工場が今年度3月いっぱいをもって廃業する事となり、それから先の身の振り方を昨年11月末以降考え続ける日々でした。
事業や経営に何の問題のなかった会社に突然持ち上がった廃業話に驚きましたが、自分としては大阪からの移住以来13年間、殆ど休暇らしい休暇も取れず働きづめに頑張り、子供の大学も残すところ1年、これを機会に少し長めの休暇と考え、しばらくゆっくりしてから再就職しようかと当初考えました。
全国的にも自動車整備士不足が言われていますが、種子島も例にもれずどこの工場も人手不足で、幸な事にこのご時世でも再就職先を見つけるのは困難ではありません。
しかしながら、もともと条件の良い職種ではなく、加えて本土や都会に比べ賃金はかなり低く、福利厚生も良くありません。
地方との格差がよく言われますが、大阪から移住する際にまず最初に実感として感じたのが賃金の大きな差でした。
働きなれた環境を離れ、また新しい環境と人間関係の中で仕事を始めるのが大変であろうことは容易に想像できますし、そうまでしてこの職業を続けたいのか自問自答し、むしろもっと休みの多い責任の少ない仕事で良いのでは無いかとも考えました。
勤務先の整備工場は島内では老舗のうちに入る店でしたので、得意にして頂いていたお客さんからも「この先どこで車の面倒をみてもらおう」など不安の声が多くありました。
そんな中帰省した年末年始、実家で親兄弟からの「自分でやってみたら、それが一番良いと思うし応援するよ」との一言、そしてお客さんから「次の就職先が決まったら教えて、あなたが行くところにお願いするから」との声が自分の中で封印していた思いに火を点けてくれました。
その漠然とした思いを実現可能な状態にしていく為、まず最初にその思いを嫁に伝えましたが「冗談でしょ」の一言で一蹴されました。
自動車整備工場を一から開設するのはそれ程簡単なことではなく、誰でも家のガレージで開けるという物ではありません。
国からの認証を受けなければ自動車の分解整備というのは出来ませんし、認証基準にあった工場敷地面積、設備、工具、人員等が細かく規定されています。
一般的には整備工場立ち上げにかかる費用として2〜3千万円掛かるとされていますが、当然自分にはそんな資金もなく、今月50歳を迎え、残された時間もそれほど長くはない自分にそこまでのお金をかけて開業する意味は見出せません。
とにかく安い資金での開設を目指し、まず自分に着いて来てくれる協力者を見つけ、現経営者からの設備、工具等の譲渡交渉、用地探し、同業者との折衝そして一番難しいのが嫁さんの協力を得る事でしたが、ひとまずそれらのハードルはクリア出来つつあります。
大事に乗ってきた愛着のあるFXRも開業資金獲得のために手放しました(泣)
年度末の廃業後できる限りスムーズに仕事の引継ぎを図るため、残された時間は短くお金もないですが、知恵と体力は出し惜しみせず頑張って自分の城を築いて行きたいと考えています。
Don't let the fear of what would happen makes nothing happen!