余りにも長い期間更新を怠ていたので何を書けば良いのか分からないけれど、毎日が怒涛の勢いで過ぎ、日々の忙しさの中でPCの前にゆっくり座ってブログを書いている時間も心の余裕もなかったというところでしょうか。
独立開業からもう間もなく満2年を迎え、未だに日々模索と悪戦苦闘の連続ではありますが、なんとか心身ともに元気に奮闘中です。
奇しくも自分が開業したと同じく一昨年から本格的に工事が始まった馬毛島の基地開発事業の影響で、こちら種子島の様相も大きく様変わりしつつあります。
港には多数の工事関係の船が停泊し、人も車も建物も工事以前とは比較にならないほど増えています。工事関係者用の宿泊場所が絶対的に足りない為、空き地にはコンテナ宿舎があちこちに建設され、アパートや借家の家賃は高騰しこれまで考えられなかった値段となり、これまで打ち捨てられていた空き家や空き地は、改装、造成されてこれもまた宿泊施設や資材置き場、事務所等になっています。
なにしろ国防を担う数千億円規模の国家事業ですので、ものすごいお金と人が動いているのを肌身で実感します。
そんな変わりゆく種子島を見ながら、自分は自分で出来ることを一歩ずつやっていきます。
2024、初日の出
]]>前回の投稿からはや8ヶ月、もともとさぼりがちなブログですが、こんなに長い期間更新を怠ったのは初めて。
開業以来、全力疾走で突っ走り、それこそ息つく暇もないほどに朝から晩まで駆けずり回り、家に帰る頃には疲れ果てて何をする気力も残らない毎日が続き、とてもパソコンの前で文章を書ける状態にはありませんでした。
体力には自信があった自分でしたが、休息もなく休暇も取れず、少し暇になると不安になり、加えて離れて暮らす父の様態の悪化と、会いにも行けない自分の状態に対するいら立ち等々、外に出している自分と内面の自分がちぐはぐな状態が続き、夏が終わる頃には肉体的、精神的ストレスから不眠、不安神経症のようなものに陥り、一時はとてもしんどい時期があったりしました。
齢50を迎えて、あまりにも急激な環境の変化に身体がついて行けなくなるのは当然ですし、これまで楽しんでいた余白の時間が無くなり、仕事一色に生活が染まってしまったのが原因だと気づき、嫁さんや周囲のサポートを受けながら、今ではまた元の様に元気に仕事に励めるようになりました。お陰様で会社の方も今のところ順調にやらせていただいております。
そしてつい先日、いつも自分を応援し励ましてくれていた父が亡くなりました。自分が開業の意思を伝えた際も「お前の思うようにすればよい」と応援してくれた父。そう語り合った今年の正月が父と会った最後となってしまいました。自分で選んだ道とはいえ、遠く離れて暮らす事のもどかしさを改めて実感させられました。見舞いにも行かず、死に目にも会えず、全くの親不孝者で情けない限りですが、父には本当に感謝の思いしかありません。
今でも種子島へ出発する朝、自分の軽トラが見えなくなるまで家の前で見送ってくれた父の姿が忘れられません。
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2022年明けの独立開業構想から3か月。我が人生において精神的、体力的共に一番大変で忙しかった正に怒涛の3か月でした。
大阪から種子島への移住の際も大変ではありましたが、時間的な余裕はありましたし、実際の引っ越し作業以外は体力的にきついこともなかったですからね。
用地探しから始まり、候補用地での整備工場営業が可能なのか官公庁への許可申請、鹿児島県整備振興会への認証取得への問い合わせ、用地所有者との交渉、用地の抵当権、差し押さえ解除、工場候補建物の自動車整備工場認証規格への間取り改装、用地内や建物内外に放置されていた大量の廃棄物の除去清掃、前勤務先からの設備、工具等の搬入、事務所用地の清掃、改装、動力電源用の電気設備工事、その他細かい事を書き出すときりがないですが、4月中のオープンに向けて時間的な制約がある中での非常に慌ただしい毎日でした。
これらの非常に煩雑極まりない事々を、これまで短期間で無事にこなせてきたのは、支えてくれた家族、手伝ってくれた友人達、そして多くの業者さん達のお陰です。
大阪から種子島への引っ越しの際もそうでしたが、今回の開業に向けての用地の清掃や事務所、工場の改装、設備の運搬等、全般に渡って助けてくれた友人達の存在無くしてこの開業は成しえませんでした。長期に渡って仕事休みの貴重な時間を文句も言わずに駆けつけてくれた友人3人には本当に感謝しています。
この種子島で色んな業者さんに何かをお願いしていつも感じる事、それは顔が見える関係の素晴らしさです。何かを発注して、どこかの知らない業者さんが仕事をして終わりではなく、これまで培ってきた関係の中で、色んな仕事をしている知り合いの方々が、それぞれ本当に親身になって仕事をしてくれる有難さ。直接の知り合いでは無くとも、誰かと絶対に繋がっている関係だからこそ成り立つ安心感と信頼感。皆がそれぞれ情報を持っているので、こちらが何かで困っていてもすぐに助け船を出してくれます。忙しい中でも時間を見つけてすぐに対応してくれる業者さんにも感謝しかありません。
まだまだ工場も事務所も未完成の状態ではありますが、これから地域の方々に親しんで貰える車屋さんとなれるよう精一杯頑張ります。
]]>久しぶりに我がブログを見て、3月は一つの記事も投稿をしていなかった事に初めて気づく。
3月は開業への手続きもしながらも、前勤務先での最後の一か月でもあり、自分ではどうにもならない色んな予測不能な事や、人間関係において微妙な駆け引き等々、ややこしい問題が重なり今考えると非常にしんどい一か月でした。
しかし3月20日をもって退職後は、それまでの人間関係から解放され、開業準備作業に全力投入できる環境となり、精神的にも肉体的にも絶好調。体力的には大変ですが、本当に毎日ワクワクと楽しくて仕方ありません。
前回の記事から開業へ向けての階段をゆっくりではありますが一段一段上り、正式にオープン出来そうな日程もそろそろ固まりつつあります。
見ただけで気が遠くなりそうだった用地内建物内外に溢れかえっていたモノやゴミの廃棄、処理、運び出しも殆ど完了し、その場の雰囲気もかなり明るくなりました。
人も動物もそして土地や物も、愛情から見放されると荒れすさんだ佇まいになりますが、綺麗さっぱりとしてきました。
さて本格始動まであと一息、楽しみながら頑張りましょう。
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なにしろ抵当権付き差し押さえの訳あり物件ですから、まずは金融機関と税務署に現所有者の残債を支払い抵当権と差し押さえを解除して貰う等々、面倒くさい手続きを踏まなくてはなりません。
今月末にはそれらを済ましてしまう予定で、それが済んだら所有権の移転、現地倉庫内外にある資材の撤去、現在倉庫を一つ資材置場として借りている賃借人との立ち退き交渉、工場予定倉庫の改装その他やる事はてんこ盛り。
それと同時進行で、整備工場の認証取得の為の申請準備、古物商許可申請、融資申し込みの準備、今後個人事業主として必要となってくる知識獲得の為の勉強、各種工事の手配、現顧客保持と獲得への宣伝等々、まさに目が回りそう。
物事に対する見方の違う嫁さんから、何かとダメ出しを喰らいながらも、毎日奮闘してます。考えなければならない事が多く、精神的にも大変ですが不思議と辛いと感じることは無く、逆に毎日非常に充実感があります。
手放してしまったFXRを思う日々。10月のFXRラン参加時、長島蔵之元港にて。
大好きな映画「地上最速のインディアン」より「リスクを恐れてはいかん。それが人生のスパイスになる。それが‘’生きる‘’ということだ」
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数日前に50を迎えました。
信長と共に有名な舞「敦盛」の一節「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」に謳われた50になってしまいました。
特に20代からの約30年は夢幻の如くが実感として感じられる様に、通り過ぎてきた出来事がまるで昨日の事の様に思い出されます。
その50歳からの独立開業なんて、普通に考えればかなりリスキーであることは百も承知です。
ですが、まったく勝算も無くただ若さと勢いで突っ走っているのではなく、自分の置かれた状況を客観的に見ながら、それを行うことで伴うリスクも冷静に見据えた上での決断でした。
開業にはまとまった資金が必要ですし、当然利益を上げながら出資したお金も自分が働ける年数内で償還せねばなりません。
振り返った2〜30年があっという間なのですから、この先の15〜20年なんてそれ以上に過ぎ去って行くに違いなく、加えて肉体の衰えもこれまで以上に進んでいくのでしょう。
人生において、好奇心、行動力、忍耐力があれば殆どの事は可能だと信じています。
同じく何かを物事を行うにおいて、その目的に向かい focus, consentration,hope を忘れず取り組めば、必ず道は開けるものと信じています。
種子島は一足早く河津桜が満開を迎えましたよ。
]]>こちらにも書きましたが、種子島へ来て以来13年間働いてきた自動車整備工場が今年度3月いっぱいをもって廃業する事となり、それから先の身の振り方を昨年11月末以降考え続ける日々でした。
事業や経営に何の問題のなかった会社に突然持ち上がった廃業話に驚きましたが、自分としては大阪からの移住以来13年間、殆ど休暇らしい休暇も取れず働きづめに頑張り、子供の大学も残すところ1年、これを機会に少し長めの休暇と考え、しばらくゆっくりしてから再就職しようかと当初考えました。
全国的にも自動車整備士不足が言われていますが、種子島も例にもれずどこの工場も人手不足で、幸な事にこのご時世でも再就職先を見つけるのは困難ではありません。
しかしながら、もともと条件の良い職種ではなく、加えて本土や都会に比べ賃金はかなり低く、福利厚生も良くありません。
地方との格差がよく言われますが、大阪から移住する際にまず最初に実感として感じたのが賃金の大きな差でした。
働きなれた環境を離れ、また新しい環境と人間関係の中で仕事を始めるのが大変であろうことは容易に想像できますし、そうまでしてこの職業を続けたいのか自問自答し、むしろもっと休みの多い責任の少ない仕事で良いのでは無いかとも考えました。
勤務先の整備工場は島内では老舗のうちに入る店でしたので、得意にして頂いていたお客さんからも「この先どこで車の面倒をみてもらおう」など不安の声が多くありました。
そんな中帰省した年末年始、実家で親兄弟からの「自分でやってみたら、それが一番良いと思うし応援するよ」との一言、そしてお客さんから「次の就職先が決まったら教えて、あなたが行くところにお願いするから」との声が自分の中で封印していた思いに火を点けてくれました。
その漠然とした思いを実現可能な状態にしていく為、まず最初にその思いを嫁に伝えましたが「冗談でしょ」の一言で一蹴されました。
自動車整備工場を一から開設するのはそれ程簡単なことではなく、誰でも家のガレージで開けるという物ではありません。
国からの認証を受けなければ自動車の分解整備というのは出来ませんし、認証基準にあった工場敷地面積、設備、工具、人員等が細かく規定されています。
一般的には整備工場立ち上げにかかる費用として2〜3千万円掛かるとされていますが、当然自分にはそんな資金もなく、今月50歳を迎え、残された時間もそれほど長くはない自分にそこまでのお金をかけて開業する意味は見出せません。
とにかく安い資金での開設を目指し、まず自分に着いて来てくれる協力者を見つけ、現経営者からの設備、工具等の譲渡交渉、用地探し、同業者との折衝そして一番難しいのが嫁さんの協力を得る事でしたが、ひとまずそれらのハードルはクリア出来つつあります。
大事に乗ってきた愛着のあるFXRも開業資金獲得のために手放しました(泣)
年度末の廃業後できる限りスムーズに仕事の引継ぎを図るため、残された時間は短くお金もないですが、知恵と体力は出し惜しみせず頑張って自分の城を築いて行きたいと考えています。
Don't let the fear of what would happen makes nothing happen!
]]>昨年末はコロナ第3波のせいで帰省もままならず、静かな正月を過ごした事がつい先日の事の様に思い出されます。
ワクチン接種も進みやっと少し落ち着きを取り戻したかと思えば、また新たな変異株が現れ流行の兆しもみられる中、まだまだ予断を許さない状況ですが、今年一年我が家は病気も怪我もなく全員元気に過ごせた事に感謝しています。
種子島に暮らし始めて13年、嫁さんとの二人暮らしも6年となりワンコとニャンコ達とそして大好きなバイクに囲まれたこの静かな生活に日々安らぎを感じる今日この頃。
自分に関しては、勤務先の今年度での廃業が決定し、来たる2022は大きな転換点となりそうですが、嫁さんの有難い助言も有り、これを機に少し休養期間を設けて、こちらへ来てから殆ど叶わなかった長めの旅にでも出てみたいと考えています。
今日からはワンコもつれて2年ぶりに帰阪。久しぶりに娘や両親、親戚達との再会を楽しみにしています。
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前日の疲れはどこへやら。旅先では普段以上に早くに目が覚める。
部屋のカーテンを開け外を眺めると、夜明け前のまだ薄明りに目の前に雄大な阿蘇が黒々と横たわっている。
まだ薄暗いが空の様子は雲一つなく、昨日以上の快晴になりそう。朝食まではまだ時間があるので、これはひとっ走りするっきゃない!
朝の澄んだ空気の中、日常から切り離された時間を愛車と共に走り出す。まさに至福の時間。
9月下旬とはいえ、標高の高い阿蘇周辺の朝は肌寒い。世の中が起きだす前に素晴らしい景色をグッチと独り占め。
ちょうど彼岸花の咲く季節。
田んぼの脇に赤い曼殊沙華が咲き並んで、まさに美しい日本の秋の田園風景。
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今回の旅は鹿児島の知人2人と共に計3台でのツーリング。同行者付きのツーリングなんて何年ぶり?もちろん種子島にきてからは初めて。
翌朝は7時の集合時間に間に合わせるため、余裕をもって5時には起床。6時にまだ薄暗いホテルを出発。車も人も少ない早朝の鹿児島市内をグッチで駆け抜ける。久しぶりの島外の風景に僕もグッチもご機嫌。
市内北部のホームセンター駐車場で待ち合わせ、朝の薩摩路を北上、いちき串木野〜薩摩川内〜阿久根と快走。
奥からFさんの2015ハーレー、ブレイクアウト、まるで新車と見紛うほどピカピカ。手前がTさんのゼファー750。自称盆栽バイカーのTさんは、ふだん殆どバイクに乗らずいじるのと眺めるのが専門だそうですので、今回が初のロングツーリング。
阿久根から黒の瀬戸を渡り長島へ、蔵之元港には9時過ぎに到着。
次のフェリー出港時刻10時まではしばらく時間があるので、のんびり談笑。
こじんまりとした美しい蔵之元の港へ来ると、「あ〜ツーリングに来たな」と実感が湧いてきます。
種子島の海とは違い穏やかな不知火海と美しい島々を眺めながら、対岸の天草、牛深へ。
牛深から本渡へ向かう途中、崎津へちょっと寄り道し美しい天主堂を対岸から眺める。
天気の良い連休とありすれ違うツーリングのバイクも多く、島では見れない色々なバイクが走っていてそれだけでも今の自分にとっては新鮮で楽しい。
崎津の近くで少し早めの昼食。朝は肌寒かったけれどその頃には夏の陽気に逆戻り。
おじさん一人でやってるネギちゃんぽん屋さん。先客3組程。外の席にて風景とバイクを眺めながらのネギちゃんぽんが美味でした。ただこの陽気にちゃんぽんは暑かった。
本渡から天草路を三角へと渡り熊本南部を走って阿蘇方面へ。予定ではのんびり天草五橋と風景を楽しみながら走る予定でしたが、天草上島に入ってしばらくするとまさかまさかの大渋滞。この暑さの中での渋滞に5橋もなにも風景を楽しむどころでは無く、自分もバイクもオーバーヒート気味で、ただただ疲れただけの天草路となってしまいました。対岸の宇城へ到着したのがすでに午後3時前。今夜のお宿は阿蘇。
熊本市内をパスするため、御船から益城町と熊本市南部から東へ抜けて北上。とはいってもやはり熊本市近郊も車が非常に多く、一向にペースは上がらず、先を急ぐ気持ちも手伝い、よってあまり風景も楽しめないまま、ただタンタンと市街地を走り阿蘇近郊の大津に4時過ぎに到着。
阿蘇をバイクで走るなら、ここからミルクロード〜大観峰が定番お決まりコース。なのですが日も短くなった9月末ではちと時間が遅い。が、まあせっかくなので行っておこうと話はまとまり、大観峰へ向け出発。
期待を膨らませ夕日に染まるミルクロードを走り始めて、その期待がすぐに失望に変わる。連休中の観光道路だもんね。空いていれば気持ちの良いワインディングロードも、ノロノロ走る4輪と2人乗りバイクに阻まれ、ただ前の車のケツを見ながら走るのみに終始し、対向車線を降りてくるバイカーのピースサインも空しく、美しいはずの景色も新鮮味に欠け面白くない。
大観峰には5時半に到着、日は傾きゲートも閉門数分前、沢山いたであろうバイクも数台を残すのみ。
久しぶりの長距離運転と渋滞走行で身体はバキバキ、気分も上がらず肌寒いので早々に退散し宿へ退散。
ゆったり風呂につかって夕食後各自部屋に戻ってバタンキュー。
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シルバーウイークの3連休、グッチで久しぶりに島外へ走りに行ってきました。
台風一過の晴天に恵まれ、秋の九州路を思いきり満喫。
コロナの影響を受け、日曜日の夕方鹿児島発のフェリーが無くなり、バイクで島外に出るのが非常に不便になってしまいましたが、この絶好の機会を逃すまいと出かけてきました。
初日はほぼ鹿児島への移動のみ。いつも利用する「はいびすかす」はドック入りにて欠航。午後2時発のフェリー「プリンセスわかさ」に乗船。鹿児島までは3時間半のんびり船旅。
快晴の澄んだ秋空と真っ青な海。慌てる旅ではないので、たまにはのんびりフェリーで船旅も良いもんだ。
せっかくのお天気なので船内にこもらず、一番上階の開放デッキに腰掛け、青空と360度の眺望を楽しむ。種子島を出て約一時間半で本土最南端、佐多岬が近づいてきた。
その後は進行方向左側に開聞岳を望み、錦江湾内に入り、右に大隅半島、左に薩摩半島、指宿温泉街の街並みを遠くに眺め、しばらくすると前方に桜島が姿を現します。
何度見ても雄大で男らしい桜島。
鹿児島港到着は5時40分。そのまま港近くの宿にチェックイン。部屋で過ごすには早すぎる時刻なので、とりあえず荷物を下ろして、普段種子島ではしないナイトランへひとっ走り出かける事にする。
桜島フェリーから暮れゆく鹿児島の街並みを眺め、桜島につく頃には日も暮れて暗くなる。そこから海沿いを南へ下って垂水まで往復。
走り始めると空には大きな月が姿を現し、錦江湾がその月明かりに照らされキラキラと輝き、覆いかぶさりそうな桜島と対岸の鹿児島の街明かりが非常に美しい。
垂水港までのんびり往復約1時間弱。普段種子島ではしない夜間走行(真っ暗すぎて何も見えないし何もないから)。街灯に照らされながら走るのも良いものだと再認識。
8時半のフェリーに乗って鹿児島市内へ戻りました。
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はや8月も中旬、世間はお盆休みに入って、本来ならこちら種子島も帰省や観光客の来島で賑やかになる頃ですが、今年も昨年に引き続いてのコロナ渦により静かな盆休みになりそうです。
今回の第5波による感染爆発により、島内でも感染者数が増えつつあり、医療体制が脆弱な離島は戦々恐々。
西之表市のワクチン接種状況は、65歳以上の高齢者への接種は完了しましたが、件のワクチン供給の滞りにより、それ以下の対象者への接種が遅れており、自分達50歳以下への接種は何時になることやら?全く予断を許さない状況にあることに違いありません。
まだしばらく島籠りの生活は続きそうです。
この夏も各地で猛暑になっている模様ですが、こちら種子島も当然ながら暑い日が続いています。海に囲まれた種子島では風が吹くことが多く最高気温は32〜3℃止まりですが、その分湿度と紫外線のきつさは半端なく、やはり暑いことには変わりありません。
こちらでは米の刈り入れの季節。今年は稲の生育もよく台風等の被害もなく農家の方は一安心。
バイクも昼間は暑すぎて人にも機械にもオーバーヒートの危険があるため、早朝に走ることにしています。
この季節、毎日の仕事は正に暑さとの闘いですが、早く涼しくなることを祈りつつ、汗と油にまみれて日々仕事に励んでいます。
]]>今週はせっかくの4連休ですが、台風の影響もあって引き続き雨が降るような降らないような蒸し暑くぐずついた天気。
本当ならこの連休を利用して、島外へツーリングにでも出かける予定でしたが、台風による高波の為フェリーの欠航が続き諦める。
よってのんびり家で過ごす事になり、こんな時こそ普段暑すぎて出来ない庭仕事を頑張ることに。
蒸し暑いですが曇り空で風があるので、この季節の庭仕事には助かるお天気。
現場監督のミケとコブに監視されながら、黙々と雑草除去に励むこと3時間。いくら涼しめとはいえ、作業を終える頃には全身水を浴びたように汗びっしょり。
手作業での雑草取り、この季節は大変です。
今回の収穫?雑草の山が二山。嫁さんも頑張りましたよ。
5月に第一段が咲いた鉄砲ユリが、また大きくなって花を咲かせています。
庭ではハイビスカスや他にも名も知らない花が咲いています。
黄色のハイビスカスも綺麗です。
自分のお気に入りのピンクの花。植えたわけではなく勝手に庭で咲いている綺麗な花。何もないところにスッと出てきて一輪で咲くのがお気に入り。
こちらも道端に咲いてる花を移植したもの。長い間ずっと咲いています。
島ではもうすでにコメの刈り取りの季節。田んぼに近づくと熟れた稲穂の香りが心地よい。
ご近所さんからスイカを頂きました。
早くすっきり晴れないかな!
]]>梅雨の最中とはいえ幸運なことに週末は晴れの日が多かったのですが、今週末は土日共に雨。
梅雨の種子島名物、シロアリの大乱舞も今年はほぼ終了した模様で、とりあえず一安心。
ここ最近は梅雨末期の豪雨が各地で災害を引き起こしているので、これから先梅雨明けまでまだ気を抜けませんが、何事もなく夏を迎えられる事を祈るのみ。
冬の間は枯れたかと思った庭のハイビスカスも元気を取り戻しました。
本格的に暑くなるその前に、家の内装を模様替えしました。床を畳からフローリングへ、気分的に少し涼やかさアップ?
自分はといえば、最近手に入れた古いオフロードレーサーがお気に入り。
1983年式、ホンダCR125R。ご存知の様に公道走行不可のレーシングマシン。
不動車を知り合いから手に入れ、例のごとくゴソゴソといじくったり、たまに軽トラにのっけて走りに行ったりしながら遊んでます。
この歳になって、今更の様にモトクロスにはまろうとは思ってもいませんでしたが、レーサー特有の無駄をそぎ落とした機能美に心奪われ、一人眺めては悦に入っております。この時代のホンダはレースに対する気合の入れ方が、今とは比べ物にならないですよね。この当時のCRは、ほぼ毎年のようにフレームからエンジンまで設計変更が行われて、毎年フルモデルチェンジという凄まじいまでの気迫。このマシンを眺めているだけでその熱気を感じます。
ミーちゃんもげんきです。
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えらく久しぶりの投稿となってしまいました。
10年物だった我がPCの不調に加え、インスタの簡単な投稿にあらがえず、つい筆が滞りがちでしたが、最近やっとPCを買い替えたので、もう少し頑張らなければ。
このゴールデンウイークは、あまり体調のすぐれない父の見舞いを兼ねて、久しぶりに大阪へ帰る予定が、昨今の緊急事態宣言によりあえなく中止。
昨年に引き続き、今年のゴールデンウィークも島で過ごす事となりました。
連休最終日の今日は朝から雨模様にて、家でゆっくり。
昨日おとといは、いつものようにバイクで島を走る。
本当は島から出て、どこか泊りでツーリングに行きたいところですがね。
まだまだ先の見通せないコロナ渦ですが、一体どうなることやら。とにかくワクチン接種だけでも始まれば多少は状況が改善されることを願いつつ、日々何となく窮屈な思いを抱きながら暮らしております。
今のところ島でのコロナ感染者数は3人なので、とりあえずはコントロールできている模様ですが、島で対応できるコロナ患者用の病床数などたかが知れているので、クラスターでも発生しようものなら一気に満床になってしまうかも。
しかしこれまで医療先進国を自任しておきながら、ワクチンの開発や製造、PCR検査体制にしろ、ほかの先進国と比較して何一つ誇れるものなど無い情けない体たらく。
こんな状態なのに、金と利権まみれのオリンピックは意地でも開催しようと躍起になってる国や東京都を見てると、ほんと溜息しか出ません。
早く自由に動ける日が来ますように。
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