想定外
- 2011.03.29 Tuesday
- 19:52
人間の想像力というのは、いろんな物語やSF映画を例にみれば分かる様に、一見果てしのないもののように思えるのだが、とはいえそれは妄想のたぐいをも含めた想像であって、それをある状況を仮定し現実と突き合わせた上でのなんらかの想定、想像力というものは、やはり自分達が実際に経験した出来事もしくは遠くない過去に起こった事象の枠を超えることはないようだ。
これまで電力会社は原子力発電所の安全性に対して、考えうるどんな規模の自然災害が起きたとしても、5重に守られた安全システムがあるので事故は起こらないと言っていた。
どこの電力会社も同じだろうが、自分が住む地域の九州電力も、いろんなメディアで原発の安全性と信頼性、安定した電力供給には原発が一番だということを宣伝していた。
そんな最大限の安全策がとられているはずの原子力発電所が、あっけなく壊れてる。
想定外だったらしい。
東北三陸地方といえば、近い過去にも何度も大津波の被害にあったことは、無知な僕でも知っていた。
岩手と福島では少し離れてはいるが、同じ海岸線に位置しているのに、津波は想定外だとは、あまりにもお粗末な話だ。
原発が作られる地域というのはどこもそうだが、都会から離れ、主だった産業もなく人口減少に悩む地方自治体であり、そういったところにとっては、建設やその後の維持管理に伴う雇用を生み、また多額の補助金や保証金を国や電力会社からもらえる原発というのは、来てほしくはないが、背に腹は代えられないといったたぐいの物であろう。
電力に限らず、結局都会での大量のエネルギー消費を賄うために地方が割を食わされ、地方もそれに頼らざるを得ないという歪んだ状況をどうにかすべきだと思う。
電気や石油等のエネルギー、そして水や食料なども、自分達はこれまであまりにも当たり前に安く手に入れてきた。
消費というより乱費、無駄使いが多かったし、世の中もそれを良しとしてきた。
電気の夜間割引なんてものも、そのからくりは原発は稼働中の発電量の調整が聞かない為、その余剰電力を使わせるのが目的。
本末転倒も甚だしい。
コンセントを入れれば電気が付き、コンロをひねれば火がついて、蛇口をひねれば水が出る。
現代社会での生活、特に都市部では、この内のどれか一つでも欠けるだけでも大混乱を起こし機能がマヒしてしまう。
震災からこの方、関東での計画停電や、日用品や食料などの買い占めを目にするにつけ、盤石の如きものであると信じて疑わなかった日常生活が、これほどあっけなくマヒ状態になるのものなのかと愕然とするより呆気にとられた。
日常生活に関するすべてをお金で買う都市での生活。
自分自身が都会で暮らしていた頃は、それが当たり前だと何の疑いもなく生活をしていたものだ。
こちらへ来てからも大阪にいた時と同じように勤め人ではあるのだが、震災は別として、それに伴う電力や燃料、食料、水などの騒動を見るにつけ、いつもは不便に感じる島での暮らしが、水や土がいつも側にあるものだけにとても安心なものに思えてくる。
こちらは離島という条件のもと、電気もガスも水道も燃料も、所得水準は低いのに関わらず、すべて本土より2割程度割高である。
あまり誇るものの無い種子島だけど、食料自給率400%っていうのは、目に見えない株価や金融商品じゃなく、米やイモや野菜だったり魚だったり、目に見えて溢れているのが分るだけに、とてつもなく心強い。
そして自然の猛々しさを日々感じているだけに、島民は自然を侮らない。
自分たちが日々当たり前に暮らしている社会が、どれほど脆く壊れやすいものの上に成り立っているのかを国民一人一人が自覚し気付くことが、今回の悲劇でのせめてもの教訓ではないか。
”原子力発電は、クリーンで地球にやさしい”
まったくゾッとする。
これまで電力会社は原子力発電所の安全性に対して、考えうるどんな規模の自然災害が起きたとしても、5重に守られた安全システムがあるので事故は起こらないと言っていた。
どこの電力会社も同じだろうが、自分が住む地域の九州電力も、いろんなメディアで原発の安全性と信頼性、安定した電力供給には原発が一番だということを宣伝していた。
そんな最大限の安全策がとられているはずの原子力発電所が、あっけなく壊れてる。
想定外だったらしい。
東北三陸地方といえば、近い過去にも何度も大津波の被害にあったことは、無知な僕でも知っていた。
岩手と福島では少し離れてはいるが、同じ海岸線に位置しているのに、津波は想定外だとは、あまりにもお粗末な話だ。
原発が作られる地域というのはどこもそうだが、都会から離れ、主だった産業もなく人口減少に悩む地方自治体であり、そういったところにとっては、建設やその後の維持管理に伴う雇用を生み、また多額の補助金や保証金を国や電力会社からもらえる原発というのは、来てほしくはないが、背に腹は代えられないといったたぐいの物であろう。
電力に限らず、結局都会での大量のエネルギー消費を賄うために地方が割を食わされ、地方もそれに頼らざるを得ないという歪んだ状況をどうにかすべきだと思う。
電気や石油等のエネルギー、そして水や食料なども、自分達はこれまであまりにも当たり前に安く手に入れてきた。
消費というより乱費、無駄使いが多かったし、世の中もそれを良しとしてきた。
電気の夜間割引なんてものも、そのからくりは原発は稼働中の発電量の調整が聞かない為、その余剰電力を使わせるのが目的。
本末転倒も甚だしい。
コンセントを入れれば電気が付き、コンロをひねれば火がついて、蛇口をひねれば水が出る。
現代社会での生活、特に都市部では、この内のどれか一つでも欠けるだけでも大混乱を起こし機能がマヒしてしまう。
震災からこの方、関東での計画停電や、日用品や食料などの買い占めを目にするにつけ、盤石の如きものであると信じて疑わなかった日常生活が、これほどあっけなくマヒ状態になるのものなのかと愕然とするより呆気にとられた。
日常生活に関するすべてをお金で買う都市での生活。
自分自身が都会で暮らしていた頃は、それが当たり前だと何の疑いもなく生活をしていたものだ。
こちらへ来てからも大阪にいた時と同じように勤め人ではあるのだが、震災は別として、それに伴う電力や燃料、食料、水などの騒動を見るにつけ、いつもは不便に感じる島での暮らしが、水や土がいつも側にあるものだけにとても安心なものに思えてくる。
こちらは離島という条件のもと、電気もガスも水道も燃料も、所得水準は低いのに関わらず、すべて本土より2割程度割高である。
あまり誇るものの無い種子島だけど、食料自給率400%っていうのは、目に見えない株価や金融商品じゃなく、米やイモや野菜だったり魚だったり、目に見えて溢れているのが分るだけに、とてつもなく心強い。
そして自然の猛々しさを日々感じているだけに、島民は自然を侮らない。
自分たちが日々当たり前に暮らしている社会が、どれほど脆く壊れやすいものの上に成り立っているのかを国民一人一人が自覚し気付くことが、今回の悲劇でのせめてもの教訓ではないか。
”原子力発電は、クリーンで地球にやさしい”
まったくゾッとする。