薩摩半島一周ツーリング

 

土日の休みを利用して、ちょっくら薩摩半島一周ツーリングへ出かけてきました。

相棒のスーパードリーム110は出発前日の貨物フェリーで鹿児島へ先送り。

自分は朝一便の高速船にて鹿児島入り。到着後バイクを引き取りに貨物フェリー到着港へ。

そのままツーリングには出かけず、知り合いのお見舞いへ私立病院へ行ったり、娘とランチしたり、歴史資料館へ行ったりと、鹿児島をブラッとする。

約一ヶ月ぶりに会う娘、特に変わりなく元気そうで安心。

テスト期間中なので、あまり勉強の邪魔をしないように、さらっとランチだけしてお別れ。

高校生活も早いものでもう一年が経過。『去年の今頃は受験前で一番大変な頃だったな〜』などと思い出すと感慨深い。

娘と別れた後、西郷隆盛を祭る南洲神社にある資料館『南洲顕彰館』にて開催中の『村田新八展』を見に行く。

幕末~維新にかけて、薩摩には魅力的な人物が数多くいますが、その中でも一番好きなのが村田新八。

この日は天気も良く、西郷さんらが眠る南洲墓地からも綺麗な桜島が望めました。

展覧会を見終わって、本日の目的地指宿に向け鹿児島を後にしたのが14時半頃。

鹿児島市内中心部の幹線道路は信号も交通量も多く、すっかり種子島の道路事情に慣れてしまった自分には走り難くてしょうがない。

海沿いの幹線、通称産業道路を南下し、いつもバイクで利用するフェリー『ハイビスカス』乗り場のある七つ島を過ぎた辺りから急に交通量が減り、スムーズに走りやすくなった。

海岸線をたんたんと走り、指宿周辺には4時過ぎ頃到着。

今夜のお宿は『ライダースイン指宿』

一泊2000円のドミトリー。今は暇な時期なので、宿泊客は僕ともう一人だけ。チェックイン後、早速砂蒸し温泉へ。

砂蒸し初体験でしたが、まあ気持ち良かったですけどね、なんか観光客ばっかりで、砂浜に人工的に作られた砂蒸し用の施設と、砂も本当の砂浜のものとは違う感じがするし、まったく僕好みでは無かったですね。

風呂の後は、宿のオーナーに教えてもらった居酒屋にて夕食。

地元の新鮮な魚とビールで乾杯。隣に座った地元のおじさんと楽しくお喋りし、旅気分を満喫。

居酒屋には予定より大幅に長居し、宿に戻ったのは21時。そこから宿の主と二人、指宿の焼酎を飲みながら2次会。

初対面ながら、同年代同士、話題はあれやこれや脈略無く飛び、杯を重ねるごとに打ち解けていく。

知らない場所で、その土地の美味いものを食い、その土地の人と語らう。

旅の途中、日常生活から遊離し、その土地で日常を暮らす人に紛れながら、その上を漂うように通り過ぎる。この宙ぶらりんな感覚を味わえるのが旅の醍醐味ですね。

夜遅くまで飲んだのでゆっくり寝るつもりが、翌朝はいつも通り6時15分に目覚める。目覚ましもセットしてないのに、この体内時計の正確さは老化の証拠でしょうな・・・

特にすることも無いので、予定より早く7時前には出発。天気はどんよりと曇り肌寒く、昨日の様な青空は望めそうにない。

途中コンビニでコーヒーとドーナツの朝食をとり、枕崎方面に向けて出発。いつもそうだが、大まかにしか旅の計画を立てないので、その時の気分で目的地はコロコロ変更する。朝一思ったより寒いので、朝風呂に入るべく西郷さんゆかりの『うなぎ温泉』へ向かう。

山間の湖畔にあるひなびた温泉地ではあるが、集落の庭や軒先などいたる所から湯気が立ち上る。

到着したのが朝の8時前というのもあるのだろうが、ひっそりとした温泉地の佇まいは非常に良い雰囲気。

地区営の温泉は入浴料金もわずか200円。8時の開館と共に入浴。硫黄の臭いが漂う温泉が冷えた身体を温めてくれました。豪華な露天風呂とか特別な物は何もない素朴な温泉ですが、いいお湯があればそれで充分。

西郷さんゆかりの温泉だけに、脱衣所にはやはり『せごどん』

かごんま弁の標語が良い感じ。

観光客向けの指宿とは対極にある素朴な『うなぎ温泉』、僕は断然ウナギの方が好き!!

入浴前に受付で頼んでおけば、風呂上りには温泉卵も頂けます。5個で200円なり。

温泉で身体も温まり、ほんのりと硫黄の香りのする温泉卵を頂き、再出発。

この日の天気は快晴とはならず、もやのかかったようなどんよりとした天気で、本来なら青空に映える美しい開聞岳も、うすぼんやりとして少々残念。

鉄道好きなら外せない日本最南端の駅、JR枕崎線、西大山駅に立ち寄る。

駅前をブラブラ撮影していると列車がやって来た。

一両だけの普通列車。やっぱりローカル線にはこの車両、キハ40系。このロケーションが最高に似合う形式です。

もはや全国的にも珍しくなってきた国鉄型車両。JR分社化後すでに30年以上が経過し、子供の頃に良く走っていた車両達も殆どが姿を消し、このキハ40系も相当なローカル区間に行かないとお目にかかれなくなってきました。

次回は是非鉄道の旅にて再訪してみたい指宿枕崎線です。

西大山駅を後にし、引き続き国道226号を西進。美しい円錐形の成層火山、開聞岳を左に見ながら薩摩路を快走。

小一時間走ると、かつおで有名な枕崎市に到着。

やはりここでも、鉄道施設探訪。日本最南端の終着駅、枕崎駅に寄り道。

駅は美しく改装されているので、最南端の終着駅という旅情を誘う風情は無い。

始発時刻表が凄い。一日たったの6本。

朝7時台の一本を逃したら、次は昼の1時!列車旅で再訪の際はタイムテーブルをしっかり考慮しないと。

枕崎からも引き続き海岸線に沿って国道226号を西進。薩摩半島の西端野間岬を経由して薩摩半島西岸へ出るルートをとります。

枕崎から先は交通量が極端に少なくなり、道路は海岸沿いの切り立った断崖上を走る。

鑑真和上が上陸された場所として有名な坊津。

娘がまだ3歳頃だった10数年前、家族3人+義母と父の5人で鹿児島を旅行し、その時に昼食で立ち寄った民宿を見つけて、懐かしさのあまり写真撮影。

こちらの2階で昼食を頂いて、3歳だった娘が配膳の手伝いをし、皆に褒められて喜んでいた事を、懐かしく思い出しました。あの時には、10数年後に娘は鹿児島の高校に通い、自分は種子島からカブで訪れるとは、夢にも思わなかったものですがね。

薩摩半島西端、野間岬の野間池港には丁度12時前に到着。朝食が少なめだったので空腹を覚え、前夜の宿のオーナーお勧めの『磯』さんにて昼食。

『刺身定食』を注文すると、このボリューム。

漁協の前なので、取れたて新鮮な刺身と、良く煮込まれたあら煮、サラダに味噌汁もついて、これで1200円は本当に値打ちあります。刺身が美味いのは言うまでもなく、魚臭いのが苦手な自分ですが、あら煮も全く魚臭くなく、良く味がしみ込んでとても美味しかった。味もボリュームも大満足の『磯』さんでした。

お腹は満腹、身体も温まったところで出発。野間池港から先は道路が広く新しくなり走りやすくなる。これで天気が良ければ景色も良く最高なんだろうけどね。

野間岬を超えて薩摩半島西側を海沿いに走っていると、急な山肌に天然石の石垣を築いた珍しい集落があり、大当石垣群と呼ばれているらしい。

山の斜面に張り付くように建つ家々と石垣。それらを繋ぐ急峻で狭い集落内の道は独特の雰囲気。

人一人分程度の道幅しかないので、当然車は入れない。

そこからまた小一時間走り、今回の旅の主な目的地、吹上浜の南端にある、万世平和祈念館へ。

太平洋戦争末期、突貫工事で建設された秘密飛行場。戦争最終盤にほんの一時しか使われなかったが、その飛行場から210名の若者が特攻隊として飛び立っていった旧日本陸軍万世飛行場。

現在は海浜公園や畑となり、旧飛行場を偲ばせる物は門跡以外何もないが、その一角に建つ平和祈念館。

出撃前の特攻隊員が子犬を抱いて微笑む有名な写真があるが、その写真はここ万世飛行場で撮られ、その翌日ここから沖縄へ向けて飛び立ち帰らぬ人となった。

一階には、海中から引き揚げられた零式水上偵察機が、ほぼそのままの状態で展示される。

2階には、若くして散っていった特攻隊員達の遺品や遺書、手紙などが展示されている。

展示されている手紙や遺書などに綴られる、隊員の家族や故郷、そして国を思う想いは、戦後70年以上が経過した今でも、読む者に何かを訴えかけてくる。戦後の特攻隊への評価もその時々で変遷し、今現在でもその評価は定まらない。最近読んだ文献でも、その犠牲者の数に対する戦果はあまりにも少なく、戦術としては愚劣極まりない特攻作戦を推し進めるまでに堕落した、軍部の愚かさは今更言うまでもなく、その犠牲となった前途有望な若い命を思うと本当にやるせない気持ちになる。

昨今の特攻隊を英雄化した映画や、右傾化しつつある政治を見るにつけ、なにか嫌な気分になるのは自分だけだろうか。

幕末から西南戦争まで、命を顧みず戦った薩摩隼人達と、自分達の命を賭して敵に突撃していった特攻隊員達。時代は違えど、どちらも本質は変わりなく、立派なサムライ達に違いない。しかしそれを率いたリーダーは比較するべくもない。

 

ハイビスカスにて帰島。

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薩摩半島チョイツー

 

明日の土曜日は休みがもらえたので、ちょっくらバイクで走りに行く予定。

昨年末から新通勤快速として日々活躍してくれているスーパードリーム号にて、薩摩半島ぶらっとツーリング。

灯火類がヘッドライト以外何も点かなくなった、おんぼろアドレス号の後継機として、走行280kmの新古車をY!にて購入。

パッと見スーパーカブだが、実は海外仕様のスーパードリーム。

エンジンはカブ110と共通だが、吸気系はインジェクションではなく、こちらはキャブ。

電子制御嫌いのアナログ人間なので、キャブというだけで安心する。

シートが二人乗りだったり、マフラー形状やテール周りも異なる。

細かい所ではヘッドライトが常時点灯ではなく、スイッチにてオン、オフできる。これも大歓迎。

ファミリービークルとあるのが微笑ましい。アジアの国々では家族3~4人で乗るんでしょうな。

リアサスも一人乗り2人乗りとワンタッチでプリロード調整付き。

50キロあたりでライトケースからの強烈なビビリ音と、タンク容量が3Lしかないのが気に入らない所だが、それ以外はすんごく気に入っています。

バイクは今夕の貨物フェリーで先に鹿児島へ。自身は朝一の高速船にて出撃。夕方の貨物フェリーに一緒に乗れれば時間的に一番効率が良いのだけれど、バイクは運転手同乗不可なのです(残念)

テスト期間中の娘とちょろっとランチでもして、夜は指宿のライダーハウスにて宿泊予定。

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エムロ号、各部チェック

 

SGと入れ替わりで我が家にやって来た、ヘルスのエムロ号。

なにせ製造されたのが60年前で、資料も少なく謎だらけのバイク。

とりあえず、外装部品を外して各部をチェックしてみた。

現在の状態は、外装からフレームまで全体をオリーブドラブに塗られているが、当然新車時からのの塗装ではない。ハンドルからリアショックまでベタ〜っとかなり適当に厚塗りされているので、全体的にボテ〜っと締まらない印象になっている。でもそのお陰で錆から守られたのかも。

試しに塗装を削ってみると塗膜は3層になっていた。

1番下の緑色が新車時の色らしい。その上から一度クリーム色に塗られて、またその上から現在の色に塗られている。

シート下のフレームに車体番号を発見。

かなり読みにくいのだが、58-EB2-〜〜〜となっているので、おそらく1958年製造のEB2型となるのであろう。

そこでまた謎が深まる??

エムロ号は排気量によって型式が違い、90ccがEG、125ccがEC,170ccがEN,250ccがEFとなるらしいのだが、手元の資料にはEB型というのが載っていない。元オーナ曰く125ccらしいのだが???

タンクは当然のごとく錆び錆びのカサカサ。穴が開いていない事を祈るのみ。

タンクキャップが開かず、職場に持って行って社長と二人で『あ~でもないこ~でもない』開けるのに大分苦労した。

1時間ほどかけて開けてはみたものの、今度は締まらなくなってしまった・・・

いい味出してるフロート別体式のキャブ。

電装は近年式他車のハーネスを流用して引き直されている。

とは言っても30年以上前の話で、かなりいい加減な配線処理。

シートの状態は非常に良く、表皮の痛みや破れも少なく、ヌメッとした皮の質感からして、おそらく新車当時の物と思われる。

エムロ号復活に向けて、ここから長~い道のりになりそうですが、とりあえずエンジン始動に向けて、キャブの清掃から始めようかな!

どなたかエムロ情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、ご教授お願い致します。

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春近し

我が家の癒し系、冬恒例の風景。

ヒーター前の微妙な距離感。相手の事など気にも留めないミケと気にしまくりのコブ。

今朝は朝から快晴。空気は冷たく澄んで日差しが柔らかく、春がもうそこまで来ている感じ。

家の近くの早咲きの桜が、誰に見られるでもなくひっそりと満開を迎えています。

ちなみに種子島では鶯がすでに『ホーホケキョ』と鳴き始めました。

 

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ヘルス自動車工業 エムロ EC??

 

メグロSGを納車した際に新オーナーのガレージの奥で30年以上眠っていた謎のバイク。

メーターには『ヘルス』のロゴ、タンクにはエムロのエンブレム。僕の記憶の中ではこれまで見た事も聞いた事もないバイク。

帰宅後、気になるので手持ちの資料で調べてみた。すると『ヘルス』とは戦後に関東で立ち上げられた多くの二輪メーカーの一つである事が判った。

2輪メーカーとして営業していたのは、戦後間もなくの昭和26年頃からおおよそ9年程、高度成長期に入る頃の昭和35年には生産を中止していた模様。西暦で表すと1951年〜1960年あたりと、かなり古いバイクと思われる。

調べている内に『これはかなり珍しい個体かも』と興味が湧いてきた。オーナーは早く処分したくてすぐにでもスクラップにでも出しそうな様子だったので、早速電話連絡しとりあえず引き取らせて貰う事に。

SGが出て行って少しスペースが出来たと思ったら、それ以上に古いのが代わりに仲間入りして来ました。

ヘルス自動車工業、エムロ号 125cc

大きな欠品は無く、タンクエンブレムなども左右付いている。ウィンカーとマフラーはノンオリジナル。テールランプは??色は何度か塗られている様子。キックは降り圧縮もあります(たぶん)

オーナー曰く、故障で乗らなくなった訳ではなく、ただ乗らずに放置していたらしい。

綺麗に残っているタンクエンブレム、これだけでもかなりのお宝?

『ヘルス』の文字がイカスメーター。作動は不明。

エンジンは単気筒2サイクル。排気量は125cc?らしい。シリンダーの大きさからみてもおそらく125ccくらい。手元にある戦後から現在まで生産された全オートバイメーカー&車種を網羅したとされる資料にも、これと同じとみられる車体は掲載されていない。エムロの125ccの形式はECとEC兇蕕靴い、当時のECの広告写真と見比べてみるとこの車体とは一致しない。

特徴的なヘッドライトナセルや車体の形状から1957年に生産された170ccのENと写真では良く似ている。しかし写真で見るENにはエンジンの後ろのカバーが付いていない。

今回手に入れた車体がEC兇覆里世蹐Δ?詳しい資料が無いので良く判らない。

とにかく、製造されてから60年程が経過した、とても珍しいバイクである事には違いがない。

当時このバイクに携わった方々も殆どの方が他界されていると思われる。

戦後の物資の乏しい中で、日本の復興に向けて物作りに頑張った先輩方の形見であり、貴重な産業遺産と言えるかもしれない。

そんなバイクが、この世界の片隅に、ではないが、この日本の片隅の種子島で、これまで残っていただけでも凄い事に違いない。

もしこのバイクが再び走り出すことが出来たなら、それもまた素晴らしい。

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