エムロ号、各部チェック

 

SGと入れ替わりで我が家にやって来た、ヘルスのエムロ号。

なにせ製造されたのが60年前で、資料も少なく謎だらけのバイク。

とりあえず、外装部品を外して各部をチェックしてみた。

現在の状態は、外装からフレームまで全体をオリーブドラブに塗られているが、当然新車時からのの塗装ではない。ハンドルからリアショックまでベタ〜っとかなり適当に厚塗りされているので、全体的にボテ〜っと締まらない印象になっている。でもそのお陰で錆から守られたのかも。

試しに塗装を削ってみると塗膜は3層になっていた。

1番下の緑色が新車時の色らしい。その上から一度クリーム色に塗られて、またその上から現在の色に塗られている。

シート下のフレームに車体番号を発見。

かなり読みにくいのだが、58-EB2-〜〜〜となっているので、おそらく1958年製造のEB2型となるのであろう。

そこでまた謎が深まる??

エムロ号は排気量によって型式が違い、90ccがEG、125ccがEC,170ccがEN,250ccがEFとなるらしいのだが、手元の資料にはEB型というのが載っていない。元オーナ曰く125ccらしいのだが???

タンクは当然のごとく錆び錆びのカサカサ。穴が開いていない事を祈るのみ。

タンクキャップが開かず、職場に持って行って社長と二人で『あ~でもないこ~でもない』開けるのに大分苦労した。

1時間ほどかけて開けてはみたものの、今度は締まらなくなってしまった・・・

いい味出してるフロート別体式のキャブ。

電装は近年式他車のハーネスを流用して引き直されている。

とは言っても30年以上前の話で、かなりいい加減な配線処理。

シートの状態は非常に良く、表皮の痛みや破れも少なく、ヌメッとした皮の質感からして、おそらく新車当時の物と思われる。

エムロ号復活に向けて、ここから長~い道のりになりそうですが、とりあえずエンジン始動に向けて、キャブの清掃から始めようかな!

どなたかエムロ情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、ご教授お願い致します。

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ヘルス自動車工業 エムロ EC??

 

メグロSGを納車した際に新オーナーのガレージの奥で30年以上眠っていた謎のバイク。

メーターには『ヘルス』のロゴ、タンクにはエムロのエンブレム。僕の記憶の中ではこれまで見た事も聞いた事もないバイク。

帰宅後、気になるので手持ちの資料で調べてみた。すると『ヘルス』とは戦後に関東で立ち上げられた多くの二輪メーカーの一つである事が判った。

2輪メーカーとして営業していたのは、戦後間もなくの昭和26年頃からおおよそ9年程、高度成長期に入る頃の昭和35年には生産を中止していた模様。西暦で表すと1951年〜1960年あたりと、かなり古いバイクと思われる。

調べている内に『これはかなり珍しい個体かも』と興味が湧いてきた。オーナーは早く処分したくてすぐにでもスクラップにでも出しそうな様子だったので、早速電話連絡しとりあえず引き取らせて貰う事に。

SGが出て行って少しスペースが出来たと思ったら、それ以上に古いのが代わりに仲間入りして来ました。

ヘルス自動車工業、エムロ号 125cc

大きな欠品は無く、タンクエンブレムなども左右付いている。ウィンカーとマフラーはノンオリジナル。テールランプは??色は何度か塗られている様子。キックは降り圧縮もあります(たぶん)

オーナー曰く、故障で乗らなくなった訳ではなく、ただ乗らずに放置していたらしい。

綺麗に残っているタンクエンブレム、これだけでもかなりのお宝?

『ヘルス』の文字がイカスメーター。作動は不明。

エンジンは単気筒2サイクル。排気量は125cc?らしい。シリンダーの大きさからみてもおそらく125ccくらい。手元にある戦後から現在まで生産された全オートバイメーカー&車種を網羅したとされる資料にも、これと同じとみられる車体は掲載されていない。エムロの125ccの形式はECとEC兇蕕靴い、当時のECの広告写真と見比べてみるとこの車体とは一致しない。

特徴的なヘッドライトナセルや車体の形状から1957年に生産された170ccのENと写真では良く似ている。しかし写真で見るENにはエンジンの後ろのカバーが付いていない。

今回手に入れた車体がEC兇覆里世蹐Δ?詳しい資料が無いので良く判らない。

とにかく、製造されてから60年程が経過した、とても珍しいバイクである事には違いがない。

当時このバイクに携わった方々も殆どの方が他界されていると思われる。

戦後の物資の乏しい中で、日本の復興に向けて物作りに頑張った先輩方の形見であり、貴重な産業遺産と言えるかもしれない。

そんなバイクが、この世界の片隅に、ではないが、この日本の片隅の種子島で、これまで残っていただけでも凄い事に違いない。

もしこのバイクが再び走り出すことが出来たなら、それもまた素晴らしい。

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フォーク組み上げ

 

11月も後半に入ろうとしているのに、昨日は25℃の夏日となり、今日も暖かいというよりは暑い種子島。

嫁さんは娘に会いに鹿児島へ。自分はまいどのワンコとネコと留守番。

先週に引き続き昼から雨のいまいちな日曜日。

スポーツスターのフォークが組みあがったので、今にも降り出しそうな空を見ながら、朝から試運転。

ついでにミケに爪とぎされてプツプツになっていたシートも、シングルシートに変えてみた。

組みあがってから、フォーク全長が長くなっているのに気づく。

たぶん2インチくらい長くなっているが、特に違和感も無いのでまあいいか。

↓が元の状態。

ロアブラケットからダストカバーまで明らかに今の方が長い。

タンクのクリア塗装は雨が降っているので本日は延期。

写真ではあまりわからないけれど、足回りが綺麗になって、だいぶ見栄えが良くなりました。

乗り心地は??しなやかになってうんぬんと言いたいところだが、正直違いはよくわからん。

リヤタイヤもそろそろ交換時だし、来年の3月には車検も。

資金捻出の為にあれこれY!出品にいそしむ今日この頃です。

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気分転換

 

月に一度の土曜休日にて、今週末は連休。

昨日の土曜日は穏やかに晴れて、暖かな小春日和。

朝からぶらっとSGで出かけてみる。

種子島にはいまだにSGが似合う田舎道がたくさん残っている。

高速は不得意だがこういった田舎道をトコトコと走るのは得意。

ポカポカと暖かく風もないので、長い間放ってあったスポーツスターのタンクもいい加減塗ることにする。


知り合いのスポーツスター乗りが最近ビッグツインに乗り換えた。

そんなのを見ていると、またバイク欲しい熱がぞろ噴き出してきたので、少し気分を入れ替える為にスポーツスターをリフレッシュすることにした。

今日の日曜、天気予報では晴れのち曇り。

早朝は雲一つない晴天で喜んでいたのが、あれよあれよと曇りだし9時過ぎごろから雨が降り出す始末。

バイクにも乗れないしつまらないので、スポーツスターのフロント周りをOHすることにした。

我がスポのフロント周りは、お世辞にも綺麗とは言えない状態。

フォークのボトムケースはクリアが剥げてまだらになり、インナーチューブにも点錆びの食い込み跡が残っている。

 

 

これまでのオーナーの誰かの保管状況が悪かった為にこうなってしまったのだろう。

フォークシールからのオイル漏れはなく、見てくれ以外には特に不都合はなかったが、いくら磨いても前周りが汚いのが気になる。

ダストカバーを外すと、思った以上に傷んだダストシールが顔を表した。

おそらく10年間一度も変えられていないアルミ粉混じりの真っ黒けフォークオイルが刺激臭と共に出てきた。

ボトムのキャップボルトも無事外れてインナーとアウターの分解完了。


出てきたフォークシールもありゃまあな状態。

結果的にはOHして正解でしたね。

インナーチューブとシール類は社外の新品をオーダー済。

左右スプリングセットで3万円!安い!

汚いボトムケースはポリッシュ。

磨きっぱなしにするか、塗装をするか考え中。


とりあえず、右側だけ荒砥してみた。

 

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メグロSG公道デビュー

 

フレーム交換後、電装系の不具合にて作業中断していたSG。

涼しくなってきたので、チャージ不良の原因を探るべく、あれこれ配線を調べたりしたものの原因不明。

結局、種子島の電装修理名人に修理をお願いすることにしました。

本人もショベルハーレーのサイドカーを所有する電気修理ならなんでもござれの達人に預ける事約一週間。

先日修理から仕上がってきたSG。

名人いわく『セルダイナモのブラシも交換して、配線もあちこちガタが来てたから、ダメなところは全部やり直しておいた』と心強いお言葉。

チャージランプも消え、力強いアイドリングで吹け上りも快調。

めでたくナンバー取得し公道デビュー。

ポカポカ陽気の小春日和となった本日、ちょいと走りに出かけてきました。

約50年前の250cc、最高出力は新車時で18馬力。

OHV単気筒なので低速からトコトコと粘り強く、トップで50〜60キロで走っている時が一番気持ち良い。

それ以上の速度になるとエンジンがしんどそう。

ミッションは4速しかなく、ギア比もかなりワイドなので、トップで走っていると少しの勾配でもすぐにスピードが落ちてくる。

種子島の様な信号も無く交通量の少ない道路ではまだしも、渋滞の多い都会はいうまでもなく、田舎でも幹線道路では現代のスピードレンジについていくのはしんどいと思われる。

エンジンはすこぶる快調、心地よい風に吹かれながらトコトコの~んびり癒される時間でした。

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広田遺跡ミュージアムへ

 

昨日は気象観測衛星を搭載したH2−Aロケットが種子島宇宙センターから打ち上げられました。

平日の打ち上げでしたので、残念ながら宇宙センター近辺への打ち上げ観賞には出かけられませんでしたが、仕事場の裏山から打ち上げを鑑賞。

無事軌道投入に成功したようで、めでたしめでたし。

今日の文化の日は、雲一つない快晴に恵まれた種子島。

天気も良いのでいつものごとくフラッと走りに出かける。

どこへ行くといっても島からは出れないので、大抵は道の走りやすい南に向けて走ることになる。

そこで行きたいと思いつつなかなか行く機会のなかった、宇宙センター近くに昨年オープンした広田遺跡ミュージアムへ足を運んでみた。

弥生時代後期から古墳時代にかけての墓地が砂浜から発掘され、国の史跡に指定されている。

種子島はご存知のように、太古の昔から黒潮の流れと共に様々な文化が流入する島だったので、ここに埋葬されている人達も、骨格の特徴や埋葬品などから、ルーツをたどれば南方系の民族ではないかと推測されるそうです。

発掘された遺骨には貝で作られた様々な装飾品を身に着けたものや、副葬品なども発掘され、その当時の生活の様子を知る上での貴重な資料となっている。

秋空の下、古代の人たちの種子島での暮らしに思いを馳せた文化の日でした。

 

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夕焼け

 

やっとこさの晴れの週末。

10月初ではないかしら?たぶん。

こちらもやっとこさ涼しくなって、やっと秋ですかい?

今日の夕日は素晴らしかった。

一日の終わりに、ちょっと得した気分でした。

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原城址へ、天草〜島原ツーリングpt

 

日本各地の人文科学、歴史、風土など司馬遼太郎さんが現地を旅して描く『街道を行く』

言わずと知れた、司馬さんが約20年をかけて書き下ろした全43巻からなるシリーズ。

僕にとっての旅のバイブルで、こちらも古本屋へ行ってはチマチマ買い足しながらほぼ全巻揃えている。

どれも面白いのだが、その中でも特に印象に残っている一冊が17巻『島原半島、天草の諸島』

生まれ育ちが関西の人間にとって、天草、島原といえば思い浮かぶのは(天草四郎と島原の乱)であり、この一冊の中でも島原の乱に関連する話に結構ページが割かれている。

読んだのはずいぶん以前の事ながら、その時の衝撃は今でも鮮明で、読みながら心臓の鼓動が速くなり怒りで冷や汗が出てきたのを覚えている。

普段は穏やかな語り口の司馬さんも、この巻では書き出しからいきなり当時の島原領主であった、松倉重正、勝家親子を日本史の中での忌むべき存在として吐き捨てている。

今回の旅では日程の関係で、島原半島まで行く時間的余裕があるのか土地勘のない自分には当日までわからなかった。

しかしもし可能ならば、是非とも島原の乱で3万とも3万7千ともいわれる農民一揆軍が籠城した原城跡を訪れたかった。

島原の乱として有名な農民一揆は、日本史の中でも非常に特殊な出来事であった。

天草と島原の民衆が、十字架の旗と 天草四郎を大将として、相 呼応しながら各地で反乱を起こし、最終的には原城に籠城した一揆軍と20万の幕府軍が3か月にわたり戦った。

乱の最後には内通者であった絵師一人を残し、城の内部にいたものは女子供を含めて一人残らず全員虐殺されるという、日本の歴史上では他に類のない惨たらしい結末をむかえる。

3万人以上が立て籠もった一揆軍のうち、その半数以上は女子供であり、残りの男の中でも実際に戦闘能力があったのはどの程度だったのだろうか。

乱の後、幕府は一揆軍が立て籠もった原城を徹底的に破壊し、打ち捨てられた3万を超える遺体は、崩された石垣などの構造物と共にその場に埋められた。

よく言われる、島原の乱=キリシタン一揆というのは幕府の都合の良い様に流布されたものであり、実際には宗教的な乱ではなく、目に余る圧政に苦しんだ農民達の反乱である。

時代が違うとはいえ、平和な現代に生きる自分としては、権力というものが力のない民に対して、ここまで横暴になれるものなのかと、なんともやるせない気分にさせる史実である。

 

旅に出ると朝早く目が覚めるのは、ワクワクしているから仕方がない。

朝食の時間まで少し時間があるので、旅館の周りを散歩してみる。

昨日までのジメッとした種子島とは違って、牛深の朝はひんやりと肌寒くすっかり秋の空気。

出来れば島原まで行ってみたいので、さっさと朝食を済ませ北へ向けて出発。

島原行のフェリーが発着する鬼池港までは、地元の人に聞いたところ1時間半くらいで行けるらしい。

走り出すと真っ青な空と澄んだ空気が気持ちよく、車も少なくて走りやすい。

天草下島は面積が大きい割には平地が少なく山深いので、海沿いを走っていないとここが島であることを感じないほど。

上島と下島が接する海峡がある島の中心の本渡を超えて、鬼池港には午前9時過ぎに到着。

港からは海を挟んで島原半島と雲仙普賢岳が見える。

この時間なら島原へ渡っても充分時間に余裕がありそうなので、迷わず船に乗り込む。

こちらの島鉄フェリーも海上所要時間は30分にて、島原半島南部、南島原の口之津へ到着。

時間に余裕があれば島原半島をぐるっと回り、雲仙見物や温泉に入ってゆっくりしたいところだが、今回は原城だけに的を絞っての短い島原半島滞在。

口之津から原城ま海沿いの国道をのんびり走って15分程度。

しかしこの日は天気が最高に良かった。このツーリングの日以来、秋晴れの空は見ていない。

いったいどうなってるのかねこの秋の種子島の天気は。

岬の先端が原城址。

国道から右に折れて細い田舎道をしばらく行くとその先に現れる看板。

この看板のある辺りは二の丸と三の丸の辺りになるそうで、周囲には畑が広がるのどかな風景。

三の丸から本丸方向を望む。

原城は90年代後半から大掛かりな発掘調査が行われ、本来すべて取り除かれたと考えられていた当時の本丸の石垣や楼門の礎石、瓦など多くのものと、沢山の人骨が地中から発掘されました。

瓦があるという事は、乱の当時にそれまでは無かったとされていた構造物があったという証拠となり、これまでの史実が書き換えられる大きな発見となったそうです。

それは当時の幕府の破壊の仕方が、どれほど徹底的になされたかを知るうえでも貴重な資料となります。

歴史上の人物の好悪を語る際、自分の性格なのか、どうしても負けた側にシンパシーを感じてしまうのだ。

明智光秀、石田三成しかり真田幸村、西郷隆盛しかりである。

織田信長も秀吉も家康にも全く人間的魅力を感じない自分。

であるので、天草四郎時貞という人物には非常に興味を惹かれる。

歴史的な資料は残っていないので、どんな人物であったのかは殆ど謎というところが、またミステリアスで良い。

本丸に立つ天草四郎の像と墓石、そして十字架。

余りにも悲惨な歴史の為か、整備はされていても観光地化されてなく、人も少なくひっそりとした原城址はとても美しく、キラキラ輝く有明の海と壮大な風景に、370年前に起こった惨たらしい歴史を知らなければ、とても気持ちの良い場所である。

そうであるだけに、余計に凄惨な気もする。島原の乱に参加した人数は、当時の南島原各集落の住民ほぼ全員であり、中には強制的に参加させられた人達もいるらしい。

乱の後に当地ははほぼ無人の状態になった程で、後に島原にキリシタンが残らなかった事実からみても、徹底的に根絶やしにされたいかに凄まじい反乱であったかがうかがえる。

乱の最中には、城に籠った一揆方が夜に皆で賛美歌を歌う歌声が、はるか遠くまで聞こえたそうです。

たった数キロ四方の一角に、3万を超える無念無縁仏が未だに眠る場所は、日本中どこを探してもここ原城以外にはあるまい。

天草の民衆が籠った天草丸から本丸を望む。

春には桜が沢山咲いて、それはそれは綺麗だそうです。

新年にはハリウッドの巨匠、マーティン・スコセッシが、遠藤周作原作のキリシタン弾圧を描いた『沈黙』が、全世界でロードショーされます。

 

 

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秋の天草〜島原ツーリング

 

いったい秋はどこへやら?

そんな種子島を抜け出して、秋を感じにスポーツスターと共にツーリングに出掛けてきました。

行先は一度訪れてみたかった、天草〜島原に決定。

今回も例に漏れず、ツーリング計画は直前に数日前の決定。

旅のお供はこれまたいつものごとく、司馬遼太郎『街道を行く』17巻、島原半島、天草諸島のみち

 

島に住む身であるので、まず島から出るのが大変。

人間のみなら高速船でひょいと出かけられるのだが、バイクと共に島を出るとなるとちょいと面倒。

フェリーは2便、11時発のはいびすかすor午後2時発のプリンセスわかさ。

所要時間は両船共に3時間半。はいびすかすは鹿児島2時半着、わかさは5時半。

少しでも早く着きたいので、必然的にはいびすかすを選ぶ事になる。

フェリー代がまたバカ高くてはいびすかすだと往復2万円で足が出る。

なので物理的にも経済的にも気軽に出かけられない。

 

出発当日の種子島は生憎の雨。

出発早々の雨にくさりながらカッパに身を包んで港へ向かう。

人間も濡れるのは嫌だが、バイクを濡らすのも嫌なものだ。

11時定時に出港し、船内で嫁さんが作ってくれたおにぎりを頬張りながら、これからのルートを確認したり、寝転んで『街道を行く』を読み直したりしながら船旅を楽しむ。

旅情を味わうにはゆっくりと進むフェリーが最高。

薩摩半島が近づき開聞岳が目前に見える頃には雨も止んだ。

予定通り、3時前には鹿児島に下船。

はいびすかすの到着する港は、鹿児島市の中心部から車で30分ほど南へ下がった七つ島港。

殺風景な港湾地帯ではあるが、九州道の入り口が近く市街地の混雑を避けられるので便利。

本当は下道をのんびりと走りたいのだけれど、もうすでに午後三時。

まだ雲行きが怪しいので、念のためにカッパを着こんで走り出す。

限られた時間で距離を稼ぐ為に南九州道に乗り、進路を北西にとって東シナ海側へ出て、日本で唯一稼働中の原発で有名になった薩摩川内市まで走る。

種子島へ来て以来走る事の無い高速道路は、車はビュンビュン飛ばすし景色も単調で退屈な事この上なし。

薩摩川内に到着する頃には空もすっかり晴れ渡り、一気に季節が秋に。

その先は下道にて、いちき串木野〜阿久根〜長島町へとたんたんと走る。

高速を降りてすぐのコンビニで小休止&カッパを脱いで身軽に。

阿久根市街を抜け、しばらく走ると左側に海が開けて、だんだんと傾きつつある太陽とキラキラ光る海が眩しい。

種子島で見慣れた夕日とはまた違う旅先での夕日もまた美しい。

 

黒の瀬戸大橋を渡り九州本土から離れ長島へ。

あちらが阿久根市こちらが長島町。

地理的には天草とも近い長島ですが、歴史、文化的に見てもこちらは薩摩。

所は変われどまだ種子島と同じ空気感を感じます。

海の向こう側に見える天草諸島。穏やかな海と美しい島々にしばし見とれる。

午後5時半、天草行きのフェリーが発着する長島北端の蔵之元港へ無事到着。

鹿児島市内から高速を使いつつ約2時間半。

夕暮れ時の小さな港は『あ〜旅に出てる』と実感の湧く、すこし寂しげなたたずまい。

天草、牛深港まで所要時間30分。

フェリーは1時間20分間隔で運行。

18時発のフェリーに間に合わせるため、知らない道を頑張って走ってきた。

この便を逃すと、次は19時20分の最終便。

連休とあって船は行楽客らしい人達で結構混んでいる。

30分の船旅なので、遊覧船気分でデッキに立って夕日と風景を楽しんでいると、あっという間に牛深港に着いてしまう。

この日の夕日はここ最近見た中で一番の美しさ。

薄青色の空に島々のシルエット、海面と雲がオレンジに輝き、それがだんだんと薄闇に溶け込んでいく様は、ずっと見ていても飽きない自然美。

天草、牛深には定時に到着。港からすぐの宿にチェックインし、バイクで15分程離れた温泉でひと風呂浴びて、地元の居酒屋で地元の魚と酒を頂く。

まったくもって幸せな時間で御座いました。

続きはまたね。

 

 

 

 

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あ〜あ・・・

 

一通りの作業は終了したSG。

 

 

しかし、事ここに至って問題発生。

エンジンは問題なくかかるのだが、アクセルをあおってもチャージランプが消えない。

まさかと思いチャージを測ると、案の定チャージしていない。

 

レギュレーターの配線を間違えたかな〜。

写真も撮って、図面にも写したので間違えていないと思うのだが・・・

 

後は配線図を手に入れて、配線一本づつ睨めっこするしかないか。

早く走りたいのだが、つまらんトラブルでやる気テンションがた落ちに加え、連日の暑さでバイクに触れる気がおきない。

 

すんなり事は運びませんな。

 

 

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